中国医学(ちゅうごくいがく)とは、中国で旧石器時代より行われてきた伝統医学です。
東洋医学、中医学、中国伝統医学とも呼ばれ、近年は欧米でもTraditional Chinese medicine (TCM、伝統中国医学)の名で、補完・代替医療として広く行われています。アジア圏を中心に多く伝播し、各地の医学に多大な影響を与え、医学の基礎を築いたと考えられています。
中国各地に医術の痕跡は各地に発見されています。約1万8000年前の旧石器時代には、骨を用いて作られた骨鍼が北京で発見され、約1万年前の新石器時代には医療道具の砭石(へんせき)が発見。
紀元前1000年~前771年の周の時代には、治療に食物療法や、薬物療法、手術が行われていることが記録に残され認識されています。
さらに紀元前400年前に「黄帝内経」が編纂され、その学術基礎と理論、治療法までもがまとめられ、ここに学問としての医学の理論基礎が統一され完成されました。
その後、中華人民共和国の成立以降整理され、中医学の名で統一理論が確立されています。現在の中国では中国医学と西洋学の両輪をもって医療を行っています。
日本では『東洋医学』の名称を用いて中国医学を指すことが多いです。それゆえ『東洋医学』と中国医学と同じものと捉える人も多いですが、『東洋医学』は中国から伝来した医学が日本で当時の環境条件に合わせて変化したものです。重視する理論や診断法、使用する生薬量などに違いがあります。
奈良時代に鑑真和上が仏教の伝来とともに先の「黄帝内経」を日本に持ち込んだのが最初とされています。984年には丹波康頼によって日本最古の医学書「医心方」が編纂されました。それ以降は、黄帝内経と医心方が学術理論の基礎として用いられ、治療法としては薬物、鍼灸、按摩、呪禁(巫術)が行われていました。
江戸時代の鎖国政策によって、学術交流が途絶え、基礎理論の黄帝内経と臨床治療学の傷寒論を中心とした古方派から、江戸時代当時の疾患と臨床治療法を中心とした後世派へとシフトし、後藤艮山らによる後世派が臨床に重きに置いたため、基礎理論、診断法が希薄になったとされています。
その後、蘭学の導入による西洋化とそれと区別されたためにつけられた『東洋医学』という名称ではありますが、江戸時代の鎖国期において独自の変化も加わったため、中国に始まった伝統医学とは使う治療法は同じであっても、診断や基礎理論の部分に差異が見られるために独自に発展した医学と言われています。
中国医学は、中華人民共和国において、診療は、基本的に中医師が行います。ただし、日本においては中医師の資格は使えないため、これを行うのは日本国で有効な医師免許を持つ者、または一部の鍼灸師が行う中医針灸です。中医師の免許は米国などでは認可されていますが、日本では現在未認可であるため、中医師免許のみでは診療行為を行うことができません。
現代中国の中医学は、西洋医学の影響を受け、中医内科、中医外科、中医婦人科、中医小児科などに細かく分類され複雑化しています。その治療法は、中薬(日本でいう漢方薬)、薬食同源(医食同源)、薬膳、鍼灸、按摩推拿(中国における手技による医療按摩)、気功が主となっています。
本協会においては、中国の伝統的な学術を採用し、基礎を重視した中国医学を伝えることに重きを置いています。